異次元緩和と称した「アベノミクス」第1弾が発射されてから3年が経過した。2年で2%の「物価上昇率」というインフレ目標と、名目GDPの成長を3.5~4%に上げるという目標であったが、そのいずれも目標に達していない。そして今週末の為替は1ドル109円05銭、株価は日経平均15821円52銭である。為替、株価共に3年前の水準に戻っており、株価は先行きさらなる低落が予想されている。
異次元緩和の狙いは、市場に大量の資金を供給することで、企業に設備投資を促すとともに、円安・株高で企業業績の底上げを図り、さらには消費者でもある勤労者への賃上げを促し、そして給与の上った消費者である国民には消費を促すものであった。ではその結果はと言うと、円安の恩恵を受けた輸出企業は大きく利益を出したが、その多くが内部留保に回ったに過ぎない。勤労者の平均給与は逆に下がっている。
世界経済の構造が大きく変わっている。当然、日本の経済構造も変わっている。そんなことは経済人なら誰もが承知している常識である。それなのに日銀の黒田東彦総裁は、従来と同じく金融政策だけで、インフレ誘導での経済成長ができると思いこんでいる。そして「生鮮食品を除く物価上昇率」を2%上げることを目標にした。処で、「生鮮食品を除く物価上昇率」に何の意味があるのだろう。
消費者は生きている。だから、生鮮食品価格こそが消費者にとって問題なのである。生鮮食品価格は、季節や気候で大きく変動する。また、地域によっても大きく違う。そういうこともあり、長年「生鮮食品を除く物価」が統計の対象になってきた。だからと言って、何時までもそれでいいというものでもないだろう。筆者は、生鮮食品価格にもそれなりの標準価格があり、その価格は超インフレになっていると見ている。
日銀総裁は、一度、近くのスーパーに行き、3年前と今と、大根やキャベツ、或いは生真イカなどの値段がどのように変わったか、売り場や消費者から聴きとることだ。ここ横浜では、3年前は大根1本が100円、キャベツ1個100円、生真イカ1杯100円が標準価格であった。旬になればそれより安く、旬が終われば高くなる。それが、今は100円ではなく150円が標準価格になりつつある。
4月からは、食卓塩100グラムが73円から98円に、井村屋の「あずきバー」が60円から70円にそれぞれ値上がりした。チョコレートやインスタントコヒーなどの値上げもある。このような工場製の食品価格の上昇は「物価上昇率」にカウントされる。だから、黒田総裁は「生鮮食品とエネルギーを除けば、物価は1%を上回る水準まで上っている」と宣う。確かにその認識も数字も間違ってはいないだろう。
それでも、ガソリン価格、電気代、都市ガス代などの下落率が大きく、物価上昇率は横ばいだという。これがインフレ率を達成できない原因だという。どうして生鮮食品抜きのインフレ率にこだわるのだろう。生鮮食品価格が季節で変動しても、その標準価格が低い時代は、家計に余裕が出た。余裕がでれば15インチのテレビを18インチに買い替える、或いは2台目のテレビを買った。だが今は違うようである。
今は、少子高齢化社会だと言う。それは65歳以上の年金受給者が増えていることを意味する。また、労働者派遣法を改訂したので、非正規社員が増えることになった。これらは日本経済に何をもたらしたか。年収200~300万円の世帯を大量に生んだのである。それらの世帯では、150円の大根を買えばチョコレートを我慢する。毎日を生きて行くだけが精一杯。テレビを買い替える余裕など生まれないのである。
つまり、日本の消費者階層に大きな変化があったのである。昔は「1億総中流」と言われた。本物の中流階級ではないが、外国からは「うさぎ小屋」と揶揄された戸建ての家か、名前だけは立派なマンション(お城)というコンクリート長屋の1室を手に入れ、ささやかな家庭を持つことを一生の大事とする「中流意識」を持った階層が、国民の90%を占め、その階層が日本の消費(=需要)を支えていた。
そういう消費者階層は「終身雇用制」の下で、定年退職までは企業に、退職後は厚生年金で生活が保障されていた。また企業が儲ければ利益の一部を、頑張って働けば、生産性向上分の一部を、企業が分配してくれた。従って、緩やかなインフレは収入増をもたらし、生活が安定しているので増えた収入を消費に回すことが出来た。だが、非正規社員が40%も占める今は違う。安定収入が増える層は極めて少ないのだ。
今年の一流企業のベースアップを見ても、スズメの涙みたいな額である。内部留保を蓄えている企業でも、ボーナスは弾むがベースアップは低額である。だから勤労者は消費に回さず貯蓄に回す。しかもその貯蓄の金利が年利0.001%。100万円を1年預けて10円の利息である。定期預金の金利が5~7%時代なら、1年預けると5~7万円の利息があり、それを消費に回したが、今は消費に回す利息もないのだ。
消費者階層が大きく変わり、国民が「貧乏」になったのである。小泉自民党が宣った「百年安心年金」が真っ赤な嘘であると分かり、中流意識層が、老後に不安を抱き、その消費行動を縮小した。自らの「貧乏」を認識したのだ。生鮮食品価格は、即、生活に影響する。その生鮮食品は超インフレ状態。従って、「貧乏」を認識した消費者は生活必需品以外の消費物資を購入しなくなった。だから物が売れないのである。
消費構造=需要がこのように劇的な変化をしているのに、旧態依然たる概念で、インフレ経済での経済成長を図ろうとする。上手く行く訳がない。収入の増えない消費者が消費物価の上がることを望む訳がない。運転手付の高級乗用車で登庁し、ホテルや高級料理店での昼食や夕食。帰る家庭で、妻が生鮮食品の値上がりを嘆くこともない消費階層の御仁には、こういう庶民の暮らし向きなど分からないだろう。
だから机上に出されたコンピュータが計算した数字で、生きた経済を操ろうとする。それが間違いなのである。日本から中流階級が消えたのではない。大企業のサラリーマン重役や医者など、本来の中流階級の数は増えているが、日本の消費を担っていた「中流意識」を持っていた階層が、その意識を捨てたのである。捨てたくはなかったが、捨てざるを得なかったと言った方が正しいだろう。だから物が売れないのだ。
異次元緩和からの3年間で、結局、何が残ったか。異次元緩和開始前、日銀が保有していた発行現金は83兆円、日銀が金融機関から預かっていた当座預金が58兆円、合計141兆円がベース・マネー(現金+日銀当座預金)であった。それが、16年3月末、日銀の発行現金95兆円、当座預金が261兆円で、合計356兆円に増えている。日銀は3年間でベース・マネーを215兆円も増やしたのである。
しかし、日銀の統計ではインフレ効果は生じていない。それは215兆円も増えたマネー・サプライが、企業と世帯の預金の増加に繋がっていないからである。銀行が持つ国債が日銀の当座預金に振り替わっているだけなのである。3月22日に安倍首相と会談したノーベル経済学賞受賞者のP・クルーグマン・ニューヨーク市立大学教授はこの点を取り上げ、異次元緩和は失敗だと指摘したそうである。
異次元緩和を理論的に指導したとも言われるクルーグマン教授は、異次元緩和の失敗を認めた上に、その政策の延長上にある消費増税の実施をするべきではないと助言したそうである。つまり「アベノミクス」は失敗と指摘したのである。経済学は実験科学の上に成り立つ自然科学と違いやり直しが利かない。経済学者はそれでいて結果責任を取る訳でもない。だから経済学者は謙虚にならないといけないのである。